英語で「Pray for me.」という表現がある。
日本人でも、「私のために祈っていてね。」という人がいる。
前者は、日本のこの直訳とは何かが違う気がする。
その何かはまだわからないのだけど。
後者の言葉を受け取ったときは、誰かに寄り添って欲しいのであろう状況を察しつつも、あまり真剣に捉えすぎないようにしているけれど、正直、この言葉そのものを素直に受け止められない私。
なぜかな、と考えてみた。
祈る行為は、
”お願いされてするものではなくて、心から湧き出てくるもの”と思っているからだ、きっと。
いまこの場所で、その人の笑顔に戻った幸せそうお姿をただただイメージするだけ。
いつからか、神社仏閣参り、墓参のときにはお願い事をしないで、
感謝の気持ちだけ捧げる、というのが自分の習慣になってしまった。
そのほうが楽なのだ。
叶うといいなと思うことは沢山あるけれど、
やるべきことはやるのであとはお任せします、今の状況に感謝しますって。
自分の願いが叶わなければ、
それは神様仏様がある程度の期間を経て、答えとか気付きを与えてくれているということ。
常に次へのヒントをいただいている、と思って、
あとはとにかく自他の幸せな状況を強く想うのみ。
今まで読んだり聞いたりしてきたことを少しずつ試した結果、
私の祈りはそのようなものになってきた。