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*50代生活のあれこれ*

マインドを飛ばそう。

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写真は先週の空。雨続きだから、青い空についカメラを向けてしまう。今日も風が強いものの、青空が見える。ほっとする。
災害は困るけれど、雨風の強い日には、目に見えない悪いものを全て洗い流して下さいと願う。

コロ、ワク、緊急、こんな言葉たちとは少し距離を置き、気持ちを違うベクトルにしようと、最近は、日ユ同祖論とか、教わらなかった歴史とか、そちらの方に意識を向けている。
 
小学校に上がりたての頃、無性に十字架のネックレスが欲しくなって親にせがんだことがある。
クリスチャンでもないのに、キリスト教の学校に憧れ、ひたすら英語の勉強に勤しんだが、私は未だにクリスチャンではないし、英語も上手ではない。

「ガイアの法則」を読んだとき、自分が英語を話せなければという明確な根拠のない焦燥感や、何故英語だけが世界の公用語なのか、うすうすわかってきた。ロンドンを中心のアングロサクソン文明に埋もれて生きていたんだ、なんて考えると面白い。 

最近は人類史に宇宙人が出てくる説を見聞きすることも多くて、何が真に本当なのかはわからないけれど、地球外生命体のことも視野に入れて考えていくと、少し物事が俯瞰で見えるような気がする。そして、少しずつ読み返している聖書が面白くなってくる。

高校生の時に初めてルーブル美術館へ行き、ダ・ヴィンチの大作を目にしたが、それまで美術はただ美しいものと思っていた私には、それらは美しいを超えて、重く、怖かった。日本人ガイドの解説を聞くと、あ、メッセージとしての絵画もあるんだと気がついたが、解せない事もたくさんあって、それが美大に行くきっかけになった。

美大では、創作ではなく、美術史や企画などの専攻で、卒論は、神話がテーマだった。でもその神話も一生懸命研究したわけでもなく、ずっと後になって読んだジョセフ・キャンベルに惹かれていきながら、神話は辛うじて頭の隅っこにへばり付いていたという程度のもの。

中学高校はキリスト教だったから、宗教の時間というのがあって、シスターによる聖書の解説が殆どだったが、これが眠い眠い…。それでも、人生の節目や住居を変えるたびに荷物整理をしながら、聖書を手放すことは一度も考えなかった。

この年になって、自分がずっと携えてきたもの、頭のどこかに引っかかっているものが、繋がってきた気がする。その手助けとなっているのが、これまでの常識や価値観をぶっ飛ばす本やサイトだったりする。

地球は宇宙の一部だから、私は地球人であり宇宙人。そんな気分で人生を振り返ると、おおらかな気持ちになれる。