この写真、今日の内容と直接関係ない本だけど、米国にいたときに図書館で借りた本で、
装幀が面白かったので背表紙部分を写真に収めたもの。
さて、もう10年以上も前になるが、「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ=著 吉田利子=訳 サンマーク)という本を読んだ。その本の中に、
nowhereは”どこにも~ない”という意味で、
切り離してnowとhereにすると、”今ここ”という意味になる。
皆が言っている天国なんていうものはどこにもなくて、
”今ここ”を経験して味わうことこそ天国。
確かこんな感じの文章があった。
もうこの書籍は手放してしまったけれど、このくだりが印象的で、
それがきっかけで自分のブログのタイトルにさせてもらった次第。
今読んでいる「コトタマ学入門」(島田正路=著 言霊の会)に、似た内容の文章があった。
要約すると以下のような内容。
神話や宗教書(古事記や聖書)で語られている、この世とか天地が作られたというのは、
大昔に地球物理学的な宇宙が形成された時のことではなく、
心の宇宙のことを指している。
その宇宙に何かが起ころうとするときというのは、
まさに人間にとって「今」「ここ」の心が現象を起こそうとする初めのこと。
人の心は、いつもこの「今ここ」に生きている。
過去の出来事にわだかまりを持ったり、将来に不安を抱いたりして心を煩わせないように。
これが結構難しいのだけど。
ただ、最近よく思うのは、
外に求めてもしょうがないということ。
やっぱり幸せとか真実とかいうのは自分の内側にあるのだろうということ。
そうそう、コトタマ学の本を読んでいて思い出したが、英語にも音節(シラブル)というのがある。
私はシラブルの大切さを理解しないまま英語を学習してきたけれど、
今後ちょっとゲーム感覚で意識してみることにしよう。
英語にも特有のコトタマが見つけられるかも。