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*50代生活のあれこれ*

ミニマリストさんたちのことを知って思ったこと。

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最近はシャッターを押す機会が減ってしまい、アメリカにいたときに撮ったこんな写真を引っ張り出してきた。オンタリオ湖に行ったら石が積み上げてあって、その向こう側の波打ち際で屈んでうた女性がうまく乗っかっちゃった絵。

 

さて、アメリカには9年ほどいたが、その間、こんまりさんのお片づけの書籍がアメリカでも有名になってきたり、ミニマリストという言葉も頻繁に耳にするようになった。日本に帰国してからも、若い人たちの間でミニマリストの考え方が結構浸透していることを知って、若い時ってあれこれいろんなものを手に入れたいだろうし、もうそんな達観しちゃっていいのかな、なんて感じていた。

 

私が学生のときにはミニマリストなんて言葉は無かった。

でもその頃、少しずつシンプルライフ的なものが世に出てきていた。世の中はまだバブリーだった一方で、少し無駄を削り落としてみよう、みたいな風潮も出てきていたように思う。

無印良品のお店ができて、当時はあのシンプルさが衝撃的で、足繁く通った。

それと、当時オフコースの小田さんが好きで、インタビュー記事とか見たり聴いたりするたびに、シンプルという言葉をよく口にされていたので、無意識に影響されていたかもしれない。

 

それでも、自分が本当に使いたいものやめざすスタイルなどを見極めるのには数十年かかった。いやいや、今でもあれこれ迷ったりしているが、若いときよりは判断は早くなった。

一人暮らしをしていたときはあれこれ買っていた。買い物は単純に楽しい。でもモノは手入れが必要で、それをしないと汚れたり傷んだり、存在さえ忘れ去られてしまう。結局使いこなさないと、時間もお金も労力も無駄になる。虚しい。。ということを時間とともに学んだ。

母が亡き後、父が「女性のものはどう扱っていいかわからん。」と言うので、しばらく実家で母の物を処分していた。すべてを一度にはできなかった。そして十数年して父も逝き、また実家にこもって今度は徹底的に処分した。モノで溢れ、昭和博物館、という感じ。。それで、結局業者さんに依頼。。家族の思い出に浸るなんてことよりも、モノの多さに圧倒されっぱなしで、ここでも改めてモノについて考えさせられた。

 

というわけで、私は何十年もかけてモノとの距離感みたいなものを学んだけれど、若いミニマリストたちは、もう彼らの両親や会社の上司や世の中の動きを観て、モノにこだわることがどれだけ必要なのか、即座に判断できているのかもしれない。

モノによって学べることより、もっと経験とか目に見えないこととかに意識がシフトしているのかもしれない。

私たちの世代がモノにこだわりすぎて失ってきた何かを、若い世代は潜在的にわかっているのかもしれない。

それと、モノとは関係のない話だが、こんなご時世にSNSなんかでやりとりしてると、もう顔を合わせなくても相手の想いを読み取る術や、新しいコミュニケーション能力が養われているのかな、なんて思う。

 

まあとにかく、私もそんな若者の様子を横目で見ながら、ゆるりゆるりと時間をかけてカンペキなミニマリストになっていこう。それで最期は、ほぼ何も残さないっていうのが理想。